熊みたいだな、と思った。
ただその頃のサンジの持っていた熊についての情報は百科事典による文書の上での知識のみであり、正確には熊とはこのような挙動をしているのかもしれない、である。
ゼフは総体としては粗雑な人物であった。まず己の見られ方に気を遣わないのだ。もはやトレードマークに成り上がった万年の仏頂面や、最低限を超過して少ない極端な言葉足らずに惑わされる人間は数知れず、多少誤解があった所でそれを解こうという意識もない。また攻撃の意図を感じ取った時点で反撃を食らわさなければ気が済まなくなるらしく、余計な買い言葉や必要以上の暴力によるトラブルにも事欠かなかった。
加えて何をするにも見通しが杜撰だった。良く表現するなら高い行動力の持ち主なのだが、求められるリソースを考慮せずに思いつきを実行し、尚且つ一度決定したことには頑として後から覆すケースは稀であり、持ち崩した時も一通りの顛末を迎えてからようやく失敗を認めるのである。今現在運営している店舗も近い経緯での綱渡りの末にかろうじて持ち堪えさせ、ようやく軌道に乗せたものだ。
その他にも細かくも数え切れない生活面の無頓着さや他者の機微への興味の薄さ――など賊徒の頭領として長く生きてきたようだが、きっとその都度部下達がフォローに駆け回り支えていたのだろう、とは短いとも言えない期間を二人きりで過ごす機会のあったサンジの見立てである。
だが総体として、というのはあくまで彼を構成する要素の中では比較的多くの割合いを占めている、というだけでもある。
故に大部分以外の――こと一部の事象においては偏執的かつ独特の美意識を携えており、それらは彼の古老に差し掛かった男にしては少々珍奇な芸術的センスに関して発揮されることが多かった。
まだ彼らが棲家としている料亭におけるスタッフが彼とサンジの二人のみであった頃の話である。
当時の店は、どんな人間でも受け入れる食堂、という店舗コンセプトに半分は沿っていたがもう半分は外れていた。
というのも、存在そのものの珍しさとそれを起因とする怪しさや、陸路では辿り着けず紹介を目にする機会もないという導線の乏しさもあり、一般市民はろくに寄り付かなかったものの、見かけだけは目を引きやすい豪勢な船であった(当時としては最新の設備も取り揃えてあった)(一切の持ち金を使い果たした甲斐はあった!)ため、しかるに客の大半は略奪を目的とした海のならず者達であった。
もっとも主要な得物を失いはしたが、元々それらの殆どよりは名の知れたならず者あがりのオーナーシェフにはたいした相手でもなく、右往左往する子供を抱えてなお蹴散らす力は残っていた。
倒すだけなら、である。その日も輩の撃退は苦もなくこなしたものの、内装はその限りではなかった。とはいえ屋外屋内問わず破損自体は毎度のことだったため、いつも通り後片付けをしようとした矢先、普段はこういう時こそ自分よりずっと忙しなくなるはずのゼフの動きが止まっているのが目に入った。
何か手傷を負わされたのか――サンジはその時の力の限りの速さで駆け寄った。だが特に外傷は見当たらない。ただ少し見開いた目の先には、海を臨む窓と、既に全体の九割は燃え落ちた浅葱色のカーテンがあった。
カーテン。この船は船首から錨まで余す所なくゼフの趣向が凝らしてある。準備期間の大半はデザインやインテリアの選別に費やしたのではないかと錯覚を起こすほどだった。そのカーテンは彼がとりわけ気に入っていたものの一つで、筆を初めて持った幼児が描いたような、ひしゃげた、どうにもトボけた――味わいの深い魚(彼は魚の意匠をよく贔屓している)のパターンがあしらわれていた。どこかの小さな個人商店の軒先にあったものを頼み込んで、と言っても元々買い手のなかったものとして二束三文で売り渡されたのだが、ともかく他に在庫もなかったためその一枚だけをホールのいっとう目立つ場所に飾っていたのだ。
声もなく佇んでいたのも束の間、何事かを呟きながら些か覚束ない奥の部屋に歩いていった。どうやら通信を試みているらしい。いくつかの相手と話しては思案に入り、また再開する。内容から察するに例のカーテンが諦めきれないようだった。太陽が傾き始めた頃にようやく出てきたかと思えば、(元)カーテンの周りをひたすら彷徨き続ける。
布一枚くらいまた買えばいいだろ、そもそも誰も来ねえんだから誰も見てねえよ――見かねたサンジがそう宥めると、誰も見てねえならなおさら俺にとって完璧な空間であるべきだろうが、と怒鳴り返された。
結局早朝近くまで一連の所作は続き、気掛かりになったサンジが幾度か確認しに行く中で少し前に読んだ書物に載ったとある生物のことが浮かんだ。
――曰く一度目を付けた獲物には非常に強い執着心を持ち、失うようなことがあれば日を跨いでも近辺を離れることなく巡回する――。
現在のサンジは実物の視覚情報として熊の知識を持っているが、始めて目にした時の感想は思ってたよりかなり似てる、だった。
なんにせよ彼の能力はただ散漫なだけではなく、金勘定や資源資材の把握は素早く正確なものであったし、無茶な企みも多くの場合は紆余曲折はあれども最終的には見事に着地させてしまうのだ。その有り様に心酔し神仏の如く崇め讃える従業員も少なくはない。
人の生死や処遇に対して市井の人々のような道徳意識や連なる遵法精神は感じられなかったが、たとえば女子諸人への慣習的な恭しい対応であったり、食とそれを与える者として相手を選ばず奪わない信条を誓い立て時に己の身を削ることも全く厭わないことだとか、比肩する者がいないほどに磨き上げられた賄いの腕も、おそらくそういった性質が所以となり身に付けられたのだろう。
そうサンジは分析している。
だとするとこれもその一環だろうか――。
当のゼフは目下代わり映えのしない渋面でサンジの乳頭を弄り回していた。睦みごとの最中でも平時と表情は変わらない。平時でも顰めた顔の皺の数が更に増えるか否かくらいの変化しかないのだが。
限られた余暇の間に二人で情交に耽ることはとっくに珍しくもなくなっていたが、なんの琴線に触れたのか近頃はサンジの胸を嬲ることに妙に熱心になっていた。
身体をゼフの意のままに扱われるのはサンジにとってはむしろ望むところでもある。されどもたとえばシャツを羽織る時の擦れによる刺激の変化や、水にかかったり泳ぐ機会の多い海上での衣服の透けなど、胸の変化は日常生活において表面的にも支障が出やすい。故に興味を示される度に拒んでいるのだが、最中になると押し切られてしまう。
あるいは結局本気で拒めはしないことを見透かされているのかもしれない。彼は人の情動に気兼ねはしないが嗅ぎ取ってはいる。相対するには厄介この上ない。
当初はさほど感覚もなかったが、手間をかけられている内に徐々に感覚が鋭敏になっているのを自覚せずにはいられなかった。避けたい状況ではあるが、そう遠くない内にこちらの刺激だけでも達せられてしまうのかもしれない。
サンジの念慮をよそにゼフは好きなように両の指をサンジの懐でまさぐらせている。この掌からあの全身の髄を痺れさせる食膳の数々が生み出されていると思うといつも行き場のない心持ちに襲われてしまう。
彼の肉厚な体躯に覆われた背中から高い体温が伝わってくる中で、一つ疑問に思っていたことを聞いた。
「やっぱりデカい方が嬉しいもんなの」
「何がだ」
「何がって――胸がさ」
手が止まった。少し振り返って肩口近くにある顔を見やると珍しく純粋な困惑を浮かべている。
「てめえのがか。急に気色悪ィこと言ってんじゃねえ」
「だからこんな毎度毎度長々と揉んでんじゃねえのか、女のならデケえのが好きなんだろ」
「そうだな。てめえの鶏ガラみてえな身体なんかどこ触ったって面白くもなんともねえな」
わずかな思考の間の後、当たり前のことを思い出したかのような声で言った。
サンジにはある程度までは従順でありたいという意識がある一方で、いきなり大規模な肉体の作り変えを要求されたならば流石に対応は難しいかもしれないなどとは考えていたのでその返答の内容には安堵を覚える一方、特別誇りにしているわけではないにしろ己の肉体を腐すように吐き捨てられるとそれはそれで瞬間的な怒りが湧いた。
飽きるくらいやっててなんだその言い草は、てめえだってそれで毎回ご立派に勃たせてんだろうが――血が上ってきた頭に咄嗟に抗言が浮かんだものの、逡巡の末にそれを飲み込んだ。闘争心の強い彼のことだ。下手にいがみ合いになるようなことがあればそのまま場が流れてしまいかねない。あくまで今の関係をより強く望んでいるのはサンジの方だ。そもそもゼフの言葉のおおよそは引っ掛かりを感じ取った際の反射であって、一切ではないが全てを額面通りに受け取るものではない。
サンジが経験に因む内省によって己を鎮めていると、ゼフの厚い指で片側の胸先が捻り上げられた。刺すような痛みと疼きが同時に身体を突く。傷付けられた神経の昂ぶりが癒えない内に先端に爪を捩じ込まれる。
――それでつまり何が言いてえんだ。
これもただの煽り文句であって、本当に口を開かせる気などない。わざと反抗心を焚き付けてからねじ伏せることで、力関係をより強く刻み付けるための仕置に過ぎないのだ。
サンジが何かを声に表そうとする度に両の指で一つ一つ潰していき、その内まともな言葉を紡ぐのを諦めてからも終わらなかった。
やがて今日までに蓄積させられた刺激が弾ける瞬間、不意に片手で顎を掴まれた。そのまま上方を向かせられ、目が合う。羞恥心を覚える間すらないまま身体は感覚に流され、一通り収まるまで上からの目線は留まり、そして離れた。相変わらず代わり映えの少ない表情だが、おおよそ満足げにしている。これが分かるのは付き合いとその中で注視していた時間の長さによるものだろう。
濡れ事の量が減ったわけではないが、近頃こういった直接に下半身を使わない遊びが増えてきた。てっきり歳による機能の衰弱が進んだのかと思っていたが、もしかしたらここしばらく店の業績が上向きで安定しているからかもしれない。
そうだ。ゼフは機嫌が悪いからこのようなことをするわけではない。むしろ逆であり、気分が乗っている時こそ――調教のようなやり方を好むのだ。
人を力で抑え付け征ち負かすことで猛る、そういう男だ。
ゼフのことなら何でも分かる、よく知っている。サンジには自負がある。少なくともいつかの大嵐の生き残りがいない限りは、今この世界で一番彼のことを理解している。教えられたことも、教えられていないことも、ずっと誰よりも近くで眺めていた。見続けていた。そのはずだ。
それでもただ一つ全くと言っていいほど知らないものがある。
右脚のことだ。
ある時は彼自身の代名詞かの如く用いられ、彼の人生の骨子の一つを担っていたであろうそれをサンジは朧げな記憶の果てにある一瞬の間でしか知らないし、今から知ることもできない。
その価値を知った時には取り戻すことはできなくなっていた。
「吸わねえの」
虚脱した体に合わせて声まで呆けた色になった。既に喉を散々に使わされたからかもしれない。
「胸、吸いたくてやってたんじゃねえの」
怪訝な顔に被せてもう少し詳しく尋ねると、長年使い込まれて消えることのなくなったのであろう眉間の皺が更に深くなった。
「俺がてめえの乳首に吸い付いてるとこなんか見てえか」
見てえ。
肯定の言葉が即座に溢れた。
そして直後に鳩尾に衝撃が走った。蹴られたらしい。容赦のない重さが腹に広がる。一応まだ最中だろうに――冷めた思考と同時におかしみが滲み出てきて、徐々に笑いに変わっていく。
見たい。ゼフがすることならなんだって見ておきたい。望むことならそれ以上に。
シーツに突っ伏して二重に痛くなった腹を抱えていると、息を吐くのが聞こえたと思えばぞんざいな手付きで仰向けに脚を開かされ、そして一気に太い肉筒に体を貫かれた。息が止まる。
部屋に来る前に十全に慣らしはしておいたが、先程までのやり取りの間まで同じ状態で保てるようなものではない。ただそれ以上に長い期間を継続して拡げられ続けている結果が勝ったらしく、多少強引な粘膜の摩擦もいつものように受け入れるまでそれほど時間はかからなかった。
のしかかってきた大柄な身体を抱き止める。痛覚は痛覚のまま官能に変換される。与えられる痛みすら一つたりとも手放したくない。指一本触れることなくただ一瞥をくれるだけだったあの男とは違うのだ。これが俺の父親だ。
ただ不満は残っている。調子づいた時に見せる意地の悪さをいまだサンジに全て開示しようとはしないのだ。今しがたのようにじゃれあいの範囲の中で少しずつ溢れる程度で、己で気付くことがあればすぐに隠そうとしてしまう。だからサンジは指摘を避けている。
滑稽なことに目の前の男は今のような関係を続けていても、まだどこかの一線は超えていないつもりらしい。あるいは彼の人間離れした道理の中では筋が通っているのかもしれない。
俺には全部諦めさせたくせに――喉の奥からそんな恨み言が滲み出てくる時がある。一方でサンジにも分かっている。少しでも消費されたいが為に関係を持ちかけたのはサンジであって、どこまで行こうと自己満足の延長線上で付き合わせているだけなのだ。いつか見かけた手巾だかに加工された懐かしい布切れのように、記憶のどこかに残る手段の一つとして肉に媚びた。
全てを奪い尽くしてほしいと願っている。全てを差し出してほしいと願っている。
何もかもが足りていない。
だが考えるまでもなく分かりきったことだ。
人一人の身体と夢を食い潰してなお満たされない飢えが失せる時など来るわけがない。
――ほら結構立派なもんだろ。
後ろに回した手を前に持ってくれば、言葉の通りにそこそこにデティールのある装飾の黄金の彫像が示された。
曰く昼間に街中で勝ち取ってきたものだそうだ。食文化に旺盛な土地であることは前々から聞き及んでいたため、海上にあってこその場ではあったが他の陸地よりは些か長く港に店船を付けていたのだ。
実際荒れた航路内で一通り以上の料を修めてきたゼフであっても学びやイマジネーションの元になるような催し事も多く、サンジを始めとしたスタッフ達にも観光を推奨していたのだが、そう長くはない閑暇の合間に成果物まで持ってくるのは中々に気合いの入った仕業であろう。
――こんな所だからせっかくだしもっと名前売ってやろうと思ってさ、今日の客入り多かったろ。あれだよ。
電球の明かりでてらてらと輝くトロフィーと共にサンジはゼフの向き合っている机の上に半身を乗り上げた。圧迫されたスペースで台の下に落ちかけた筆を器用に片足で掬い上げ、そのまま手で拾い弄ぶ。
夜にサンジがオーナー室に押しかけてくるのは既に特筆するようなことでもなくなっていたが、その日は妙に落ち着かない空気を纏っていた。ただどちらかといえば浮かれたものであり、切迫した所用はないことも感じ取れたので喋らせるままにしていたが、なるほどこれが原因であったらしい。
他所の海にいても評判の漏れ出る名所だ。話題になれば一つ所では留まらない影響も視野に入る。こちらの得も大きいだろう。
てめえもたまには殊勝なことをするんだな、そう投げ返したがまだざわめいている気の中心には触れていないらしい。
――何で勝ったと思う。
なんの料理で、か。適当に思いついたものを数個挙げる。南寄りの土地に合わせた南国料理、物珍しいであろう島国料理、若者の間で流行っているらしい菓子の類。そもそも何が趣旨の興行かすら伝えられていないのだから全て当てずっぽうであり、そして全て外れた。言葉の数を増やすだけの無為な遊びである。ただこういった遊びをゼフは嫌ってはいなかった。
中身のない応酬をしばらく続けた後、ふと唐突に打ち切られた。答えを明かすことに痺れを切らしたようだ。焦らしているようで焦れているのはサンジの方なのだ。しかしこうも勿体ぶったのだから何か大層な仕掛けはあるのだろう、と期待する内心はゼフにもないでもない。反面たかだか料理の名前一つで今更驚くことなどあるだろうかという懸念もあったが、なんであれサンジとのやり取りに大きな意義など求めていない。
ニタニタとつり上がった口から出てきたのは少しばかり懐かしいものだった。
現在の役職を与える少し前に、サンジが新作の提案を持ちかけてきたことがあったのだ。その頃にはとうに店内での腕は上から数えた方が早い位置にいたが、表に出すものを創作させるには及んでいなかった。ただいつもより張り切っていたため直に試食し、一蹴するには惜しい品質は感じたものの、ゼフがこの店に求める水準には達していなかったのでその時は蔵入りとなったのだ。ただ以降も何度も試作を重ね、どれだけ厳しい批評を受けてもそれらを乗り越えるだけの改良を施しては再三の提出を繰り返し、最終的には根負けしたゼフも付きっきりに全面の監修の元に完成させたのだ。
そのまま定番へ、とは行かなかったが一定の好評は博し、今もシーズンや合った海域ごとに提供される一品として度々メニューに顔を出している。そういえば今は正にその時期に当たる。
――賞取ったら名前とレシピずっと残るんだってさ。
だから一番この店らしいもん出してやろうと思って。思わず、だがそのずっと前から待ちかねていたかのように誇らしげに言った。
俺達が作ったんだ。
確かに客に出すものとなるとゼフの口入りが大量に必要となったため出来上がりの時点ではほぼ合作と化し、当時のサンジはその有り様に不満げですらあった。そして今となってはサンジ一人の創作料理が卓に並ぶことも少なくはない。
ただ、今それを報告することに気もそぞろなまま顔を出しに来たのだ。この子供は。
気ままに筆を回す腕を掴み、近くに引くと心做しかバランスを崩した。怒りでも買ったかと思ったらしく抗議と当惑の目線を束の間寄こしたが、すぐに意図を理解したようでそのまま僅かに強張った。大抵は自ずから入り込んで来るというのに事の始めにはいつも慣れきらない素振りをする。抱えた金色を後ろ手に置くのを横目で眺めつつもう片方の手で頭を掻き寄せると、薄い柑橘系の匂いが散った。洗髪剤のものだろう。少し以前とはまた変えたらしい。勢いのままに口に噛みつき、腔内を割り開く。紫煙の苦い味がする。内側をあらかた確かめ終わり顎を引くと、まだ粘り気の残る舌が追いかけて来る。それに応えてやる。そういった交接を数度繰り返した後ようやく途切れた。
いつの間にかゼフの頭部にも縋るように手が伸びている。僅かに荒くなった息が顔にかかる。微かに上がった口角の薄い唇から溢れた雫を舐め取るのが見えた。
――なんだ。溜まってたんならさっさと言えよ。
掛かりは長かったが御多分に漏れず”用意”はしてきたらしい。詰まるところサンジが部屋を訪れるとはそういうことなのだ。念入りに弛められた後孔は手指の手助けも少なにすんなり肉の塊を受け入れた。
はだけさせた襯衣の中には相変わらず筋と骨しか感じられない体躯が横たわっている。こんな頼りのない体でよくも生きてられるものだと見る度にゼフは思う。少なくとも自分が同じ程の齢の頃はこうではなかった。この平べったい腹の中に月並みよりは四、五周りは大きいであろう自身の男根をどう収めているのかも見当がつかない。ただどこが”好き”なのか――どこを責めればより速く達するかはよく知っている。だがそればかりに集中させると若さ故かねだる回数も増えて面倒も増えるため、一回の比重を重くしてより疲弊させることで取り計らっている。つまり極限まで甚振った末に解放してやるのだ。
まだ深くは進まず上から孔の際を浅く嬲っていると、顔の横で生白い脚が跳ねるのが見えた。食に関するものの次か、もしくは並んで己の持てる知識を全て注ぎ込み鍛え上げている所だ。靭やかに張った腱は申し分なかったが、やはり肉付きは今一つだった。腿に軽く歯を立てると、小さな呻き声が聞こえた。
――そういうとこに痕付けんのすっげえ独占欲強くて、あとすっげえスケベでカッスカスになるまで搾り取ろうとする女だからやめとけって言われたんだけどさ。
どうなの。やっぱスケベだからやってんの。
吐いた息と共にそういったことを漏らした。誰から聞いた――ぬるく問い正そうとすると片頬だけ持ち上げて笑った。
――友達の一人だよ、ただの。妬いたか。
心底気分が良いと訴えかけるような声色が癪に障り、歯を立てた所をそのまま表面の皮ほど食い破ってやった。口の中に鉄の味が滲みる。
サンジはいつ頃からか行為の時に閨での女の話をよくするようになった。洗髪剤も彼女らからの入れ知恵で頻繁に変えているらしい。今のように悋気でも誘っているのか、あるいは他の狙いがあるのか。しかし自身は全く自然な現象かのように語るのに、関係を持って以降ゼフが女を抱くようなことがあれば盛大に調子を崩すのである。いくらか前に多少時間のかかる用事でサンジが出払っていた時に代わりを呼びつけたことがあり、帰ってきた後はそれはもう酷いものだった。そういった気質に対するある程度の予想はできていたため極力痕跡は消したつもりであったが、僅かな証拠と執拗な周囲への証言の聞き取りによって露呈し、そこからまともに言葉を交わすまでに一月はかかったのだ。元来気の利く方ではあったが、この手の勘の良さに関しては特別常軌を逸していた。ただ色ごと全般が対象というわけではなく、単にゼフの周りに気を張りすぎているだけなのかもしれない。
ただおそらく――余所に熱を散らすあてがあるのは本来歓迎すべき事柄だろう。お互いにとって。
――噛み跡残すやつはもっと駄目だって――まだ続ける気らしい。
女相手にんなこと逐一気にさせてるんならてめえの技術不足だ――言い終わる前に根まで深く孔を突き上げる。意味のある言葉を考える余裕はなくなったようだ。このまま行為の終わりまで口をきけないようにしておくべきだろうか。
かつては慎ましやかだった窄みは今や雄を咥えこむ器官として熟れ切り、擦り上げられる度に逃すことを拒んで強く締め付ける。ゼフの持つものの形に合わせてそう変化した。変化させた。抱かれることで性の悦楽が奔る身体もその内だ。サンジはゼフの教えたことをよく覚えている。これも教育の一つに過ぎない。
夢と、叶えるために研いだ力を手放すことを決めた時に、残ったものも全て捧げてやってもいいと思った。事実それはその通りになった。全て与え尽くすまでもうそう遠くはないこともわかっている。できることもできないことも継がせた、俺の息子だ。
しかしその中で欲も育っていった。この俺の全てを奪っていくのであれば他に要るものなど何も無いはずだ。俺の言葉だけ聞いて俺の言う事だけに従い俺のことだけ見て生きていけばそれでいいだろう。
何かを取り戻そうと、またはいずれ切り離すために久々に掴んだ女の肌は、あの貧相で痩せた身体を貪った後に勝る充足を恵んではくれなかった。
今となっては遥かな記憶の中のいつかの孤島に還ることを今もどこかで望んでいる。
ただ確信はあった。それらは今いる場所から半歩でも踏み出せば全て容易く叶う。
だから留まらなくてはならない。